煙が目にしみる
12月1日の師走の日曜日、朝から天気も良く、毎年恒例の中央町一丁目町会の餅つき大会が行われました。
前回の日記で紹介の通り、今年からは薪ではなくガス機器を用いての餅つきでした。結果的にはもち米の炊き上がりも順調で、跡片付けも楽で来場された多くの方にも楽しんで頂けたのではないかと思っています。
今年から導入のガス機器
薪を使って行っていた時に比べ、薪割りしないで良い、煤で顔や手が汚れない、灰の片付けが無い、煙で目がしみないなど、とても楽でした。親子で来られた方が、小さなお嬢ちゃんに「おもちって、お米からこうやって出来るんだよ」と間近で説明しているのがとても微笑ましく、生きた教材だなと思ったりもしました。
けれども、その光景を見ていて、今回もしも「薪」を使っていたら「臥薪嘗胆」の意味を、「煤」が出れば「煤払い、煤籠り」の意味を、「灰」を見れば「灰色」の事を教えたり理解する機会が持てたんじゃないかなとも思いましたし、大変だと思っていた薪割りや、薪を釜にくべたり、煤で汚れたり、煙で涙が止まらなかった事など含めてが「餅つき」なのかなとも思えてきました。それにその方が楽しかったと後から仲間と笑い合えるんじゃないかなとも思っています。
この日記を書きながら久しぶりにプラターズの「煙が目にしみる」を聞いておりますが、煙が目にしみる体験もたまにはいいのかなと思ったりもします。(プラターズのは恋の炎の煙なので、そちらは遠慮しておきます)
「煙が目にしみる」 by The Platters (1958)